貝南生の活躍②

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貝塚市立第二中学校 教頭 9期生 倉永明典

 貝塚南高校と言えば「ブレザーの制服!」。当時大阪府下の学校でも、そのほとんどが学ランとセーラ服。記憶が正しければブレザーの高校は貝塚南を含めて2校ぐらいしか無かったように思います。45年前、当時の先生方や地元の高校関係者の皆さんの思いとしては、「パイオニア的、存在感のある高等学校になってほしい!」という願いが込められているような気がしてなりません。数年前にまた新しく制服が変わり〈同じくブレザー〉気持ち新たに邁進していると聞いております。
 さて、少しだけ自分自身のお話をさせていただきます。私は9期生、昭和57年に貝塚南高等学校へ進学しました。世の中にはインベーダーゲームが大流行し、まさしくインベーダー世代とも言われ、「宇宙人なので、何を考えているかよくわからない世代」と比喩されていました。そんな私自身も中学の時は、「高校に行けば、バイトしながらバイク乗り回して遊びまくろう!」と決めていました。ところが真剣にクラブ活動をしているサッカー部に魅かれ入部。先輩後輩の縦の関係が厳しく、練習もきつかったので続けられるか不安に思ったこともありましたが同じ学年のメンバーにも恵まれ、大阪ではベスト32に入り、本当にたくさんの良い思い出ができました。
 そしていよいよ3年生。クラブも引退し自分の進路を考えていかなくてはなりません。教師になりたいという思いは小学生の頃からあったのですが、教師になるためには大学に行かなければならないと知ったのは高校1年生。(専門学校へ行けば教師になれると思っていました。)本当に遅すぎて少しづつ勉強を始めました。そして3年生の懇談会で担任の先生に、将来教師になりたいので教育系の大学を受験しますと希望を伝えると「現役では当然無理!浪人しても合格できない」とはっきり言われました。高3の時の成績では担任の先生からこんな厳しい言葉を投げつけられても仕方ないなと今では思えますが、当時の私は「何言うてんねん!絶対合格したる!」と強く決意したのをよく覚えています。また私の周りの友達はみんなそれぞれ自分の夢や目標を持っていました。環境問題に関わった仕事がしたい、自分の店をもちたい、音楽関係の仕事につきたいなどそれぞれの目標があったからこそ、その目標に向かって努力できたと思います。自分のパフォーマンスをユーチューブに流して世間に認められれば一瞬にして時の人。こんな時代だからこそ自分の可能性を信じて頑張って欲しいと思います。「貝塚南の卒業生、いろんな分野で頑張ってる!」と良い刺激や元気をもらって自分も邁進したいと思います。


【略歴】

  • 昭和60年  貝塚南高等学校卒業
  • 平成 3年  大阪教育大学卒業
  • 平成 3年  貝塚市立第四中学校勤務
  • 平成12年  貝塚市立第二中学校勤務
  • 平成25年  同校 教頭勤務