恩師随想録

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貝塚南50周年

 貝塚南高等学校創立50周年、誠におめでとうございます。
 私が貝塚南高等に赴任したのは1984年の4月(32歳)で11期生が入学された時です。
当時の貝塚南のクラブは綱・宇佐美・松尾・上之山・根来・佐々木、各先生をはじめクラブに熱心な先生が教科を問わず沢山居られ、多くのクラブが盛んで活気にあふれていました。
私も諸先生方に負けないよう柔道部の顧問として取り組んだ思いが今でも良き思い出として残っております。
 また、生徒指導部担当として違反の靴下やピアスなど、多くを取り上げた指導はその当時の生徒からは怖がられていたと思います。そのような中で先輩教員から教育相談の勉強をしろと言い渡され、「生徒指導と教育相談は水と油だ」と言い返すと、シャッフルすると良いドレッシングになると言われ取り組みました。その結果その後の教育活動に幅ができたのは間違いなかったと思います。
 2000年に西成高校に転勤後、幾つかの学校を経験し2011年(59歳)の年に学校長として貝塚南高校に帰ってきました。
 貝塚南では昨年度定員割れであり教育委員会では2年連続定員割れの学校は統廃合の対象とするとの情報があり、某テレビ番組から取材依頼があり受けることにしました。
取材当日は、その当時の生徒会メンバーがとても爽やかに取材に応じ、私が就任した2年間は定員割れが無かったのは生徒のお陰です。
 その当時、PTAの皆様もとても協力的で、裏庭にある荒れた庭園を」生徒が心安らぐ居場所にしたいと、皆で大雨の中、綺麗な庭園に作り上げたことも良き思い出です。
 また、60歳の年に貝塚南の教え子Mさんが校長室を訪れ赤いパンツをプレゼントしてくれたのはサプライズでした。
Mさんは看護師として海外でのボランティアや先に行われた東京パラリンピック等で活躍されています。Mさん以外にもプロギタリストの足立久美・救急救命士・会社経営者・南海電鉄の役員・飲食店の経営者等、貝塚南の卒業生は社会に羽ばたき必要な人材として活躍されています。

 貝塚南高校がこれからも、校訓の「自由と規律」「明るく、たくましく、心爽やか」な人材を育成し活躍されんことを期待し、お祝いの言葉とします。

令和4年4月 本田 勝士